MRPとの出会い

  私は昭和34年に電器メーカーに入社し、製造部(テレビ工場)で工程管理業務(作業改善、作業標準作りなど)の業務を10年あまり行ってきました。
  当時は製品組立から配線作業、調整作業、梱包作業と長いコンベアーでの流れ作業で生産が行われていました。
  ここで改善手法として取り入れたのが動作分析(Work Factor)による作業時間の短縮と各工程のラインバランスの平準化でした。8ミリカメラで動作を撮影し部品置き台から取付け位置までの距離をいかに短くするか、両手で同時に作業ができないか等動作分析行い改善を実施し作業時間の短縮を図りました。
ある事象を要素に分解し各要素(動作)を見直し改善することはすべての仕事にも共通した改善手法ではないでしょうか。そこに生産管理の原点があるような気がします。
  この考え方がこれからの私の仕事に対する基礎となったと思っています。
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さて、資材に目を向けると部品在庫は多いにも拘らず、欠品が多く、ラインがよくストップする状況が続いてしました。 生産管理の担当者は工場長に呼ばれ叱られる状況をよく目にしたものです。当時は電卓もなく手廻しの計算機でテレビに使用する部品の必要量を人間が計算していました。現在はコンピュータで行っている部品展開を人間が行っていたのです。大量の部品点数を計算するには時間が掛り計算ミスが起るのは当然です。
 その後アメリカに約1年出張する機会があり、そこでIBM社を見学する機会を得ていろいろな業務がコンピュータで行われているのを知りました。(事務所には日本と比較して人が少ない印象を受けました)
帰国後、生産管理の当時の主任(後の情報システム部長)にコンピュータの威力を説明し、主任は今の部品調達業務に限界を感じ何とかしなければならないと危機感を持っていました。
その後、私は製造部門から事務改善部門(新設)に移り主任と一緒に事務改善に取り組むことになりました。
  IBMで当時、開発されたBMプロセッサー(MRP手法)の英文の書籍を取りよせ分担して翻訳を行いMRPの考え方とロジックそしてプログラミング手法を勉強しました。その後プログラマを1名採用し汎用コンピュータ(COBOL)で約1年かけて開発を行ってきました。
当時は会社にコンピュータもなく東芝の計算センターの空き時間(ほとんど夜)借りて開発を進めました。 1年後、システムが完成し、会社の方針でスピーカー工場に導入することとなり、部品表、構成表の登録と夜遅くまで工場の生産管理部門と協力して作業は続きました。
  工場長は我々に非常に理解があり導入に反対するものは担当業務から外すまで言ってくれました。 約3カ月後マスターが完成、棚卸データと生産計画を入力し最初の計算を行いました。初めての計算結果、部品の注文書は殆ど出力されませんでした。棚卸在庫が引当され発注は不要ということです。このような状況が3カ月ほど続きました。仕入先からはなぜ注文がないのですかとの問い合わせに購買担当者は説明に追われていました。
部品在庫は3カ月分あったものが0.7カ月までに圧縮されました。それでも欠品は減っていきました。
この状況を工場長が驚き社長に報告され早々にコンピュータを導入することが役員会で決定されました。当時(昭和42ごろ)レンタルで月額150万円であったと覚えています。 その後他工場(オーディオ)にも導入することとなり、生産管理システムなしでは生産管理業務はできなくなっていきました。以後販売管理、経理業務、給与計算等コンピュータシステムをトータルシステムとして完成させ順次業務に適用していきました。これが私のMRPの関わりです。 MRPの威力をまざまざと見せつけられました。
 仕組みが完成するまでには苦労の連続でした。何事もそして信念をもって取り組めば成果はでると確信しています。 

                                 株式会社 システムユニ
                           取締役システム営業部長   久岡美弘
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by systemuni | 2009-02-05 11:40 | 営業部長

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